歴史的建造物

2018年7月14日 (土)

曾根原家の改修工事現場見学

安曇野市にある、現存する最古の本棟造りと言われる、重要文化財に指定されている曾根原家住宅の改修工事の現場見学会に行ってきました。メインは、石置き板葺きの屋根改修です。

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20年ほど前に行われた改修以来の工事ということで、屋根の状態はこんな感じ。
椹板は長さ3尺、葺き足は3寸、つまり、板は10枚重ねということになります。
板の先端から20センチ程度までは傷んでいますが、奥の方はきれいなまま。
割板の表面に出来る繊維の溝が程よい通気を保つからだそうです。
工事の計画段階では、板の腐食がこの程度であることが判らなかったため、
全面取替えの計画で進んでいたため、降ろした板は選別して使えるものは今後のメンテナンス用に保管するとのこと。本来は毎年点検して裏返したり上下逆にして差し替えたりして、材料費は掛けずにメンテナンスしていくのが、民家である板葺き屋根のメンテナンス方法で、35年以上保つのだそうです。
右の写真の部分は、破風の笠木の銅板の水下部分。この部分だけ若干板の腐食が少ないのは
銅板から流れ出る緑青(錆)の殺菌作用の効用なのだそうです。

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今回の工事では、本来民家では椹は使われていなかったのではないかということで、杉板です。
丸太を3尺の長さに切ったものを、鉈のような刃物を当てて木槌で叩き込み、割っていき、
まず8分厚さの材を作り、半分に割り、半分に割り、で、2分厚さの板にします。
割るというよりは、刃物を叩き込むのは最初だけで、刃を捻るようにして剥いでいくという感じです。
板を作るのは、乾燥させる前の木の方が作業が楽なのだそうです。特に栗は固くなって大変なのだそう。
軒先の方から葺いていきます。葺き足3寸で、下の板の付き合わせ部分をまたぐように板を重ねていきます。
葺き長さ1mくらいごとに短い釘を打ちますが、これは江戸中期の民家としてはあり得ないのだそうです。
ずれてしまわないようにするためですが、短い釘なので、メンテナンスの板の差替えの時には
板を持ち上げることで抜けるのだそうです。
メンテの差し替え作業は梶棒のようなものを差し込んで持ち上げておこないま
す。茅葺の工法と似てます。
板は基本的には置いてあるだけなので持ち上げれば隙間ができるくらいは浮きますが、
10枚も重なっているので、相当な強風でも捲れあがることはめったにないそうです。
ただし、軒先やケラバは押えが効きにくいので、対策として高さのある「堰板」を取付けるのだそう。
堰板は、石の転がり落下防止よりもこの方が重要な役目だとのこと。
今回も新たな「へぇ~」に出会いました。

2018年6月14日 (木)

漆塗りの見学

町会のお舟(山車)の修復をやっていて、今日は町会の保存会の方々にくっついて、漆塗りの工場見学に行ってきました。木曽の平沢にある作業所で、名古屋城の復元にもかかわった職人さんたちによって修復工事が行われています。先日TV放映された名古屋城の漆塗りの作業風景は、実はこのお舟の作業だったという内緒話(内緒になってませんね)もありました。
大工さんによって分解、木部補修が行われた細かい部材の数は、他の地区のお舟にも類を見ないほど多いそうです。その細かいものも、一つ一つ、多くの工程を経て修復されています。こすり出しによって元の塗装の色、種類を確認し、剥がれる既存の塗装はこそぎ落とし、とのこで大まかな補修をした上に、さび土と漆を練り込んだもので均し(いわゆるパテこすりみたいな感じ)、研ぎ出し、の作業を何回かやって、中塗り、仕上げ塗りになります。その間にも研ぎが入るらしい…、気の遠くなるような工程です。作業所は漆の乾燥に適した高めの湿度に管理されています。
この後、箔貼り、再組立てとなり、町会の蔵に戻って来るのは秋口の予定です。
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砥の粉(下の容器)と錆土(上の容器)。錆土は楢川で採れるそうです。
粒子がとても細かい粘土土のようなものです。

4面塗装の部材はこんな感じで吊るして干されています。

台輪という部材がねじれてしまっていたので、左右のうち右の1本は取り換えとなりました。もとはカバ桜だったそうです。

2017年4月 4日 (火)

上高地線の新村駅

昭和10年ころ撮影の波田駅と平成24年撮影の新村駅
まるで双子のようです。

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明治5年に新橋横浜間に鉄道が敷かれ(信州人ある糸屋平八が出資)
それまで1日かけて歩いていたのが1時間足らずで移動できるようになり
汽車の「時刻」というものにより、
それまで一刻(いっとき:約2時間)、最小単位でも小半刻(こはんとき:約30分)が
日本人の時間の観念の最少単位であったものが分刻みとなり、
日常生活に時計というものが必要になったのも鉄道の延伸に関わるのだという。
「へぇ~」

幹線は国主導で、都市間や地方の連絡路線などは民間主導で鉄道が敷かれて行く中で
国は鉄道施設の「標準化」を図るため、駅舎や付属施設の『標準図』なるものを明治31年に出します。
その後にも何年かごとに標準図が作られますが、大きな変遷は無かったようです。

新村駅も、標準図を参照に造られたと思われます。私鉄では、その地方色や経営者の「好み」で
国鉄には少ないデザインが取り入れられます。
上高地線も、羽目板張りにペンキ塗りの洋風色を意識したデザインを取り入れたようです。
明治35年に松本まで鉄道が通ってきてはいたものの、まだまだ新しいハイカラなもの、という
意識が強かったからでしょう。本社のあった新村駅は、中でも洋風色が強いデザインでした。
波田駅や森口駅も基本的には同じデザインテイストですが、新村駅だけは
待合室の天井が実(さね)部分がかまぼこ型にデザインされた羽目板張りにペンキ塗り、
照明の中心飾りがあり(車寄せの天井にも)、
出札窓口や手荷物扱い窓口も彫物のある縁で飾られ、破風板には飾りがつき、
差し掛け下屋の妻壁部分にはアールを取り入れたデザインのパージボードが取り付けられ
車寄せの上には社章を取り入れたマーク飾りがついていました。
駅というものは、単なる通過点ではなく、待合室は情報交換の場であり交流の場でもあり
約100年という間、地域の人々に愛着を持って使われてきたのだと思います。
解体されてしまったことは残念ですが、記録保存調査というお仕事をいただき
いろいろ勉強する機会が持てました。
だからこそ余計残念に思うのかしら・・・。

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2016年10月13日 (木)

お城の漆塗り

国宝松本城は毎年、9月から10月上旬にかけて漆の塗り替え工事が行われています。
外壁の黒漆と月見櫓の赤漆を塗り直します。台風の季節ですが、それだけに天気が予測しやすく、適度な湿度もあり、塗り替え工事がしやすいのだそうです。せっかくお城に来たのに工事中でいい写真が撮れない、と嘆かないで、文化財の漆塗りの作業を間近で見られる貴重な機会ととらえてもらえればうれしいです。地元の業者の碇屋さんは、昭和の大修理以降ずっと、漆塗りだけでなく、屋根、壁、床、諸所傷んだところがないか確認し、応急処置をしてくださっている、お城の守り人です。

Photo月見櫓の赤漆は、紫外線で劣化して浮いた部分を欠き落として、コクソという、今の材料で言えばパテ材にあたるものを塗って平らにし、『さび』という非常に粒子の細かい土と漆を混ぜたもので表面を均し、赤漆を塗って仕上げていました。しかし、これを50年以上繰り返した結果、塗厚が厚くなり、元の塗厚さに戻す必要があるということで、ここ数年はコクソで盛り上げるのはやめにして段差の角を無くす程度にとどめ、平らにならすことをやめているそうです。これをまた数十年繰り返すことによって、厚くなったところが順次剝がれて元の塗厚さに戻せるのだそうです。気の長くなるような話です。国宝でなければ、厚くなったところを欠き取ってしまうのだろうけれど、そんな作業をして万一木地を傷めたら大事です。

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現場で使われている『さび』の材料の土は、泥団子のようです。これを削って漆と練って使うそうです。奈良県で80過ぎの職人さんが作っていましたが、高齢のため昨年で廃業だそうです。ありったけ買い占めたそうですが、文化財の保存修理につ必要な材料自体が現在普通に流通しないものが多く、生産が途絶えてしまうことも心配です。

碇屋さんは、漆塗りだけでなく、金物の補修なども行っています。山車などの飾り金具などの型取をし、金物業者に持ち込んで細部にわたる打合せをし、できたものに漆で金箔を貼り付けるのだそうです。電極を使った金メッキは、地金を劣化させるため、文化財の補修には向かないのだそうです。以前は跡を継がないと言っていた息子さんが最近は修行に励んでいるそうで『息子が箔をやると施主は儲けもんだ』と笑っていました。箔貼りが厚くなって金の使用量が多くなるのだと。