2017年7月17日 (月)

大町 北アルプス国際芸術祭 2

日本語表記では、「北アルプス国際芸術祭」、英語では『JAPAN ALPS ART FESUTIVAL』

ぢゃあ、南アルプスはどうよ?

理解の域を超えたもの、心にすっと入ってくるもの、いろいろですね。

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2017年7月16日 (日)

大町 北アルプス国際芸術祭 1

ほぉお~

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耳の中のような・・・

2017年7月 2日 (日)

歴史の里 上田の近代建物見学会



歴史の里のイベントで、上田に建物見学に行ってきました。

生憎の大雨。ですが、募集開始1日で満員御礼になった好評企画。平均年齢は高いものの、皆さん元気に見て歩きました。

街なかから郊外に移築保存されている司祭館、教育会館、図書館、聖ミカエル教会、笠原製糸が企画での見学で、お昼時間は自由行動でした。

自由行動中に見つけた擬洋風建物。人の気配があり現役のようです。
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何かしらと思ったら、庇の上の瓦に郵便マーク。郵便局だった建物。
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電柱が邪魔・・・
Cimg1747_21近くのお焼き屋さんで
赤飯おにぎりと田舎まんじゅうを買いました。
おにぎりの中のお豆が甘くて
びっくり。おいしかったです。









2017年6月12日 (月)

座光寺麻績学校

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元善光寺の近くにある、麻績学校。

開智學校よりも古く、明治6年の建築で、歌舞伎が盛んな伊那谷での舞台も兼ねるように造られ、
1階の広場に面した建具を開き放てば歌舞伎場となります。
1階の階高が高く造られているのもそのためで、2階の床板は上げられるようになっており
雪を降らせたりといった舞台演出の仕掛けが出来るようになっています。

正面の間口いっぱいに架けられた梁の太さには圧倒されます。
内部にも、桁行いっぱいに角材で1本物の梁が掛かっていて、目がテンになります。
軒が深く堂々とした大屋根も瓦葺きで立派です。
裳階の様な1階の庇は、持ち送りで出桁構造になっており、
垂木材の無い『板垂木』で厚い板が使われています。

地元にこんな建物があったとは・・・・素晴らしいです。

お隣にある竹田扇之助記念国際糸操り人形館にも寄ってきました。
展示だけでなく、実演もしてくださって、庭も綺麗でした。

もっとたくさんの人に認知してもらいたい建物・施設です。

飯田裁判所の当初の建物について調べていたら、
明治12年に建てられて裁判所の建物が、大正7年に移設建替えになった際に
長源寺というお寺に移築され保育園として使われている、という記述を見つけ
お寺を訪ねてみたら、なんと!高校の同級生の実家でした。
こういう偶然があると、調べものも楽しくなります。




2017年5月23日 (火)

今井の家

◆◇◆◇今井の家◇◆◇◆

農家住宅
夫婦+お子さん3人
木造2階建て 延床面積約122㎡(約37坪)

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2017年5月 5日 (金)

長坂

清春芸術村

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芸術家を育成する場として造られた集合アトリエ

光の美術館(安藤忠雄)

ルオー礼拝堂(谷口吉生)

茶室『徹』(藤森輝信)

梅原龍三郎アトリエ(吉田五十八)

安くはない入場料をとっているのに内部には入れない施設が多すぎる・・・・

これでは愛される場所にならないね。

近くの、アフリカンアートミュージアムが良かったです。

学芸員の展示品に対する愛情が伝わってきました。
『アート』って何だろう、って考える場所です。

津金學校

開智學校と同じ時代に建てられた山梨県の津金學校。

開智學校は、棟梁の立石清重が名を残していますが、ここでは、近代(風)建築での学校の設立を進めた県令(知事)の藤村紫朗の名をとって、「藤村式」と呼ばれています。

Photo_6Photo_9Photo_11バルコニーがあり、白い壁に濃い目の水色のペンキが映える外観

真壁の内部

搭屋には始業と終業の時間を知らせる太鼓



昭和60年で学校としての歴史を閉じ、その後歴史資料館となっています。
良いところは、文化財指定されていながらも、カフェ営業があったり、展示物であるオルガンなどを弾いても良かったり、見るだけでない楽しみ方ができることです。

並んで、大正時代の校舎を再現した建物などもあり、宿泊棟もあります。











奥蓼科

奥蓼科の温泉に行ってきました。

鉄分の多い温泉で、近くの川は、錆色の岩に濃い緑の水苔が独特の風景を創っています。きれいな水で、何段もの滝があり、マイナスイオンいっぱい。

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お風呂は、川に張り出し気味に造られたぬるめのお風呂、吐水口からのお湯が優しく肩をマッサージしてくれる内風呂、冷泉の打たせ湯があり、説明書きには、長く浸かるよりもこまめに何回も入るのが良いと書いてあります。

近くには東山魁夷の絵画に描かれた溜池のミシャガ池があります。池の縁の保護の為か、近づけないようになっていたのは残念でした。

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2017年4月 4日 (火)

上高地線の新村駅

昭和10年ころ撮影の波田駅と平成24年撮影の新村駅
まるで双子のようです。

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明治5年に新橋横浜間に鉄道が敷かれ(信州人ある糸屋平八が出資)
それまで1日かけて歩いていたのが1時間足らずで移動できるようになり
汽車の「時刻」というものにより、
それまで一刻(いっとき:約2時間)、最小単位でも小半刻(こはんとき:約30分)が
日本人の時間の観念の最少単位であったものが分刻みとなり、
日常生活に時計というものが必要になったのも鉄道の延伸に関わるのだという。
「へぇ~」

幹線は国主導で、都市間や地方の連絡路線などは民間主導で鉄道が敷かれて行く中で
国は鉄道施設の「標準化」を図るため、駅舎や付属施設の『標準図』なるものを明治31年に出します。
その後にも何年かごとに標準図が作られますが、大きな変遷は無かったようです。

新村駅も、標準図を参照に造られたと思われます。私鉄では、その地方色や経営者の「好み」で
国鉄には少ないデザインが取り入れられます。
上高地線も、羽目板張りにペンキ塗りの洋風色を意識したデザインを取り入れたようです。
明治35年に松本まで鉄道が通ってきてはいたものの、まだまだ新しいハイカラなもの、という
意識が強かったからでしょう。本社のあった新村駅は、中でも洋風色が強いデザインでした。
波田駅や森口駅も基本的には同じデザインテイストですが、新村駅だけは
待合室の天井が実(さね)部分がかまぼこ型にデザインされた羽目板張りにペンキ塗り、
照明の中心飾りがあり(車寄せの天井にも)、
出札窓口や手荷物扱い窓口も彫物のある縁で飾られ、破風板には飾りがつき、
差し掛け下屋の妻壁部分にはアールを取り入れたデザインのパージボードが取り付けられ
車寄せの上には社章を取り入れたマーク飾りがついていました。
駅というものは、単なる通過点ではなく、待合室は情報交換の場であり交流の場でもあり
約100年という間、地域の人々に愛着を持って使われてきたのだと思います。
解体されてしまったことは残念ですが、記録保存調査というお仕事をいただき
いろいろ勉強する機会が持てました。
だからこそ余計残念に思うのかしら・・・。

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2017年1月 8日 (日)

トイレの手洗い台とキッチンワゴンを造ってみた

年末年始のお休み期間で、家具を2つ造りました。

例によって滝澤工務店さんに材料のカットをしていただき、
ボンドと釘ビスで留めて、今回は水周りで使うので水性ウレタン塗装にしました。

トイレの手洗い台は、上に据えるボウルが納期が掛かるというのでまだ載っていませんが
上にホーローのタライが据わる予定です。
カウンター下の突っ張り棒に目隠しカーテンを付けるかどうか検討中。

Cimg0716Cimg0717 材料は集成材です。

キッチンワゴンは、越してきた当初に造ったカウンター収納が杉材だったので
杉無垢ボードで作りました。右側のカウンターが少し出ているのは、
ここが手掛けになって、軽く持ち上げると、左下にキャスターがついていて
移動ができ、据えてあるときは右の側板が床についているので安定しています。
上の引出と下の開き戸の取手は、イペ材です。

Cimg0713Cimg0715 工務店さんにカットの図面を渡したときに
 当て木をするからいいやとシャクリを省略して
 考えていたところも、カットに先立ってチェックをしてくださって
 シャクリをしてくださってあってきれいにできました。

年末年始は天気が良く、家の中は暖房無しでもほんわり温かく
作業がはかどりました。

あぁ、遅ればせながら・・・

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

今日から寒いみたいです。風邪などひきませんように。

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