2017年5月23日 (火)

今井の家

◆◇◆◇今井の家◇◆◇◆

農家住宅
夫婦+お子さん3人
木造2階建て 延床面積約122㎡(約37坪)

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2017年5月 5日 (金)

長坂

清春芸術村

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芸術家を育成する場として造られた集合アトリエ

光の美術館(安藤忠雄)

ルオー礼拝堂(谷口吉生)

茶室『徹』(藤森輝信)

梅原龍三郎アトリエ(吉田五十八)

安くはない入場料をとっているのに内部には入れない施設が多すぎる・・・・

これでは愛される場所にならないね。

近くの、アフリカンアートミュージアムが良かったです。

学芸員の展示品に対する愛情が伝わってきました。
『アート』って何だろう、って考える場所です。

津金學校

開智學校と同じ時代に建てられた山梨県の津金學校。

開智學校は、棟梁の立石清重が名を残していますが、ここでは、近代(風)建築での学校の設立を進めた県令(知事)の藤村紫朗の名をとって、「藤村式」と呼ばれています。

Photo_6Photo_9Photo_11バルコニーがあり、白い壁に濃い目の水色のペンキが映える外観

真壁の内部

搭屋には始業と終業の時間を知らせる太鼓



昭和60年で学校としての歴史を閉じ、その後歴史資料館となっています。
良いところは、文化財指定されていながらも、カフェ営業があったり、展示物であるオルガンなどを弾いても良かったり、見るだけでない楽しみ方ができることです。

並んで、大正時代の校舎を再現した建物などもあり、宿泊棟もあります。











奥蓼科

奥蓼科の温泉に行ってきました。

鉄分の多い温泉で、近くの川は、錆色の岩に濃い緑の水苔が独特の風景を創っています。きれいな水で、何段もの滝があり、マイナスイオンいっぱい。

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お風呂は、川に張り出し気味に造られたぬるめのお風呂、吐水口からのお湯が優しく肩をマッサージしてくれる内風呂、冷泉の打たせ湯があり、説明書きには、長く浸かるよりもこまめに何回も入るのが良いと書いてあります。

近くには東山魁夷の絵画に描かれた溜池のミシャガ池があります。池の縁の保護の為か、近づけないようになっていたのは残念でした。

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2017年4月 4日 (火)

上高地線の新村駅

昭和10年ころ撮影の波田駅と平成24年撮影の新村駅
まるで双子のようです。

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明治5年に新橋横浜間に鉄道が敷かれ(信州人ある糸屋平八が出資)
それまで1日かけて歩いていたのが1時間足らずで移動できるようになり
汽車の「時刻」というものにより、
それまで一刻(いっとき:約2時間)、最小単位でも小半刻(こはんとき:約30分)が
日本人の時間の観念の最少単位であったものが分刻みとなり、
日常生活に時計というものが必要になったのも鉄道の延伸に関わるのだという。
「へぇ~」

幹線は国主導で、都市間や地方の連絡路線などは民間主導で鉄道が敷かれて行く中で
国は鉄道施設の「標準化」を図るため、駅舎や付属施設の『標準図』なるものを明治31年に出します。
その後にも何年かごとに標準図が作られますが、大きな変遷は無かったようです。

新村駅も、標準図を参照に造られたと思われます。私鉄では、その地方色や経営者の「好み」で
国鉄には少ないデザインが取り入れられます。
上高地線も、羽目板張りにペンキ塗りの洋風色を意識したデザインを取り入れたようです。
明治35年に松本まで鉄道が通ってきてはいたものの、まだまだ新しいハイカラなもの、という
意識が強かったからでしょう。本社のあった新村駅は、中でも洋風色が強いデザインでした。
波田駅や森口駅も基本的には同じデザインテイストですが、新村駅だけは
待合室の天井が実(さね)部分がかまぼこ型にデザインされた羽目板張りにペンキ塗り、
照明の中心飾りがあり(車寄せの天井にも)、
出札窓口や手荷物扱い窓口も彫物のある縁で飾られ、破風板には飾りがつき、
差し掛け下屋の妻壁部分にはアールを取り入れたデザインのパージボードが取り付けられ
車寄せの上には社章を取り入れたマーク飾りがついていました。
駅というものは、単なる通過点ではなく、待合室は情報交換の場であり交流の場でもあり
約100年という間、地域の人々に愛着を持って使われてきたのだと思います。
解体されてしまったことは残念ですが、記録保存調査というお仕事をいただき
いろいろ勉強する機会が持てました。
だからこそ余計残念に思うのかしら・・・。

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2017年1月 8日 (日)

トイレの手洗い台とキッチンワゴンを造ってみた

年末年始のお休み期間で、家具を2つ造りました。

例によって滝澤工務店さんに材料のカットをしていただき、
ボンドと釘ビスで留めて、今回は水周りで使うので水性ウレタン塗装にしました。

トイレの手洗い台は、上に据えるボウルが納期が掛かるというのでまだ載っていませんが
上にホーローのタライが据わる予定です。
カウンター下の突っ張り棒に目隠しカーテンを付けるかどうか検討中。

Cimg0716Cimg0717 材料は集成材です。

キッチンワゴンは、越してきた当初に造ったカウンター収納が杉材だったので
杉無垢ボードで作りました。右側のカウンターが少し出ているのは、
ここが手掛けになって、軽く持ち上げると、左下にキャスターがついていて
移動ができ、据えてあるときは右の側板が床についているので安定しています。
上の引出と下の開き戸の取手は、イペ材です。

Cimg0713Cimg0715 工務店さんにカットの図面を渡したときに
 当て木をするからいいやとシャクリを省略して
 考えていたところも、カットに先立ってチェックをしてくださって
 シャクリをしてくださってあってきれいにできました。

年末年始は天気が良く、家の中は暖房無しでもほんわり温かく
作業がはかどりました。

あぁ、遅ればせながら・・・

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

今日から寒いみたいです。風邪などひきませんように。

2016年12月27日 (火)

横内勝司写真展

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安曇市の高橋節郎記念館の土蔵棟で行われていた写真展に行ってきました。

最終日に間に合いました。

ギター製造のフジゲンの創設者のお父様である勝司さんは明治35年生まれ、まだまだ写真が普及していなかった時代に、日常生活の「スナップ写真」を撮っていた稀有な人物です。写真コンテストで数々の入賞を果たし「アマチュア写真界の鬼才」と言われていたそうですが、33歳という短い生涯と、戦争へと流れていく時代の中でその存在は忘れられてしまっていました。数年前にお孫さんにより小屋裏から大量のガラス乾板が見つけられ、昭和初期の松本の風景や人々の暮らしを伝える貴重な史料として紹介されました。また、写真家の石田道行さんによって、その写真家としての偉業が語られました。

松本市の神田の生まれということで、旧山崎歯科医院の赤煉瓦を焼いていたかもしれない瓦工場が風景に映りこんでいないかと期待していました。有りました。写真左手上部にうっすらと煙が上がっている小屋。まさしく、古いレンガが転がっていた辺り。明治20年代から焼いていたかという根拠にはならないけれど、ちょっと嬉しい発見。

目当てはこの写真ではあったけれど、横内さんの写真は、まだまだ機材も高価だった時代に、何気ない日常の中の気持ちがふっと和むような場面が切り取られていて、心がさわさわとします。生き生きとした子供の表情や、時代に翻弄されて戦地へ赴く若者たちの凛とした表情など、今の時代が失ってしまったものが遺されていると思いました。



2016年12月14日 (水)

薬局の型ガラス

大正末期に建てられた薬局の型板ガラスが素敵

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天井はブリキプレス

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2016年11月26日 (土)

さっきまでセーター

昔々藤森先生と宮坂薬局を見に行った時に着ていたセーターが縮んでしまったので
手提げに作り変えました。袖部分は内側に引っ込めてファスナーを付けてポケットに。

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2016年11月 5日 (土)

東京都文化財ウィーク2016 3

駒澤大学禅文化歴史博物館は改修工事中で、外観は玄関周りのみ。フランク・ロイド・ライトの影響を受けたテラコッタタイルと、ガコガコした平面プランが特徴です。耐震の為の壁配置なんだそう。へぇ~。展示ホールの天井のステンドがとても綺麗でした。

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書道博物館は、中村不折記念展に惹かれていきましたが、書道博物館なので絵画の方は展示がありませんでした。残念。昭和初期の建物にも惹かれて行きましたが、内部は展示パネルでほとんど見えず。雰囲気の良い小さめの中庭があり、石の蔵と、素敵なタイルが敷かれていました。

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